【商品】
・古書簡 「松方正義書簡 柴山矢八宛」年不詳 4月12日付 直筆/肉筆
【内容】
・書翰 16行
寸法 縦:約19cm 横:約77cm
*松方正義 (まつかたまさよし 1834年-1924年)
明治期の政治家,財政家,薩摩藩士。薩摩藩士松方正恭の4男に生れた。幕末動乱期に寺田屋事件,
征長戦,公武合体運動などに関係,倒幕工作にも加わった。藩軍艦掛り,日田 (ひた) 県知事を経て、
明治3 (1870) 年中央政界に入り大蔵省で地租改正にたずさわった。 1881年の大蔵卿就任以来 1900年にいたるまで,
蔵相に7度就任,その間,財政政策に才覚を発揮。「松方財政」と呼ばれる不換紙幣の整理に着手,デフレ政策を行なった。
また,日本銀行の創立,金本位制度の確立をはじめ予算,会計,税の各制度の近代的な確立に大きな業績を残した。
内閣総理大臣として 91~92年と 96~98年に内閣を組織し,1900年元老に列せられた。 03年に枢密顧問官,17年内大臣。
*柴山矢八 (しばやまやはち 1850年-1924年)
明治・大正期の海軍軍人。鹿児島(薩摩)藩士柴山良庵の次男。東郷平八郎の従弟。
海軍少将柴山昌生は嗣子。明治4(1871)年藩の選抜で米国に留学、明治7年に海軍中尉。
英国教師ダグラス海軍中佐に水雷術を学ぶ。のち海兵隊(海軍陸戦隊)長として,8年江華島事件の際は,
砲兵1小隊を指揮して弁理大臣黒田清隆を警護した。9年萩の乱には「浅間」艦で出動し,10年西南戦争には「筑波」艦で戦地に回航した。
12年初代の水雷練習所長,16年同所改変に伴う水雷局長として,初期の水雷術発展に貢献した。
19年海相西郷従道に随行して欧米に出張。「筑波」艦長,巡洋艦「高千穂」艦長,海軍兵学校長等を経て27年少将。
日清戦争中は佐世保鎮守府司令長官,30年中将に進んだ。精悍豪爽で新知識に富む海上の戦将,軍政家だった。
山本権兵衛ら「本省派」と対抗する「艦隊派」の中心人物。
海軍大学校長,日露戦争中は呉鎮守府司令長官,旅順口鎮守府司令長官を務めて38年大将。
旅順口鎮守府司令長官時は同港内の沈没したロシア艦の引き上げ作業に携わり,海軍の艦艇勢力増加に努めた。
大正4(1915)年退職。男爵。
・書簡には、同郷である柴山に対し、薩摩藩の藩父であった島津久光の遺品のことが書かれているようです。
【状態】
・経年相応の汚れがみらえます。
・封筒あり。
・書簡、封筒に、破れなどはみられません。
【発送】
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